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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)6380号 判決 1979年4月23日

原告 大岩熊作

被告 佐野安船渠株式会社

主文

被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五一年一月九日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、主文第一項に限り、原告において金二〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一  被告が、船舶の新造・販売並びに修繕等を目的とする資本金一四億三〇〇〇万円の株式会社であること、原告が昭和四一年六月被告に臨時工として採用され、翌昭和四二年六月本工となつたことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告がじん肺(正確にはじん肺性肺結核)に罹病したか否かについて判断する。

1  先ず、原告が臨時工として入社以来、被告会社の各補機台、ボイラー排気管、梯子、ハンドレール、敷板、各種タンクの組立及び取付け作業に従事してきたこと、原告の全作業の約四分の一は、地上の製缶工場における組立作業であり、残りの約四分の三は、新造船機関室内における取付け作業であること、原告が右取付け作業において毎日平均約二時間の電気熔接・ガス切断作業を行つていたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いない事実及び前記一の事実に、訴外白川勝が原告主張の日時にその主張の場所を撮影した写真であることについて争いのない検甲第一号証の一ないし五、同第二号証の一・二、証人白川勝、同出嶋昭三(但し後記認定に反する部分を除く。)の各証言、原告本人尋問の結果、並びに、弁論の全趣旨を総合すれば、次の如き事実が認められる。すなわち、

(一)  原告は、昭和四一年六月に被告に雇用されて以来、製缶工として、被告会社の工場及び被告の建造する新造船の機関室において働いていたところ、原告が右新造船機関室内で従事していた作業は、補機台、ボイラーの排気管、梯子、ハンドレール(手すり)、タンク等の仮取付けであつたが、右仮取付けに当つては、電気熔接・ガス切断等を行つていたところから、その際に、じん肺の原因となる酸化鉄等の粉じんが多量に発生していたこと、

(二)  もつとも、原告が右新造船の機関室で電気熔接・ガス切断の作業を行つたのは、一日平均二時間程度であつたけれども、原告ら製缶工の作業は、三名が一組になつてこれを行つていたので、原告の作業中は、その周辺において他の製缶工が電気熔接及びガス切断の作業に従事していることが多かつた上、原告の働いていた新造船の機関室内では、前記補機台等の仮取付けを行う製缶工の外、本取付けを行う電気熔接工をはじめとして、グラインダー作業を行う仕上げ工、配管や電気配線を行う際に電気熔接・ガス切断を行う配管工や電気配線工、サンドペーパーで錆落しを行う錆取工等が、同時に作業をしていたので、右新造船の機関室内は、右各作業に従事する従業員の作業中に多量の酸化鉄等の粉じんが発生し、毎日作業開始後一時間も経つた頃には、見通しが悪くなる程に空気が汚れ、また、その後の休憩時間の頃には原告ら作業員の鼻の穴は真黒になり、痰も茶色になるような状況であつたこと、

(三)  また、原告ら製缶工は、年間を通じ、新造船の機関室で働らく期間は約四分の三であつて、その余の約四分の一は地上にある被告会社の工場で働らいており、さらに、新造船は、まず船底に二重底が敷かれ、ついで隔壁、外板等が取付けられ、デツキや機関室が作られていくので、建造中の新造船の内部は、当初は、屋外と大差のない状況であること、したがつて、原告の働いていた作業現場が、一年を通じて、前述の如き粉じんの多量に発生し、そのために空気が汚染されたところではないが、一年のうちその半分以上は、粉じんが多量に発生しこれによつて空気が汚染されたところであつたので、原告は、前述のように被告に雇傭されて以来、永年に亘り、その作業中に多量の酸化鉄等の粉じんを継続的に吸入していたこと、

以上の如き事実が認められ、右認定に反する証人出嶋昭三、同原享の各証言はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

もつとも、成立に争いのない乙第三・四号証、証人出嶋昭三の証言により成立の認め得る乙第一号証の一ないし四、同第二号証の一ないし三、証人出嶋昭三の証言によれば、日本産業衛生学会では、酸化鉄粉じん等第二種粉じんの許容濃度は、空気一立方メートル中五ミリグラムとしているところ、被告が、昭和四九年一〇月から同五〇年九月までの間に、建造中の新造船の機関室、セカンドデツキ、サードデツキ等の粉じん濃度を、毎月測定した結果では、最も多いときのサードデツキで、空気一立方メートル中二・二五ミリグラムであつて、他は、すべてそれ以下であり、平均すれば、〇・五ないし〇・六ミリグラムであつたことが認められる。しかしながら、証人白川勝の証言によれば、後記の如く原告が昭和四九年五月頃、じん肺性肺結核で入院するようになつてから、原告の所属する労働組合の要求等により、被告の新造船内の作業現場の環境は逐次改善されてきたことが認められるのみならず、右被告の測定が一日のうちの何時になされたかは不明であるから(作業開始直後は粉じんに汚染されていないことは前述の通りである)、右被告の測定した結果のみから、原告が被告に雇われて働くようになつた昭和四一年六月頃以降引続き、その作業現場の粉じんによる汚染度が終日右被告の測定した結果と同一であると認めることはできないのである。したがつて、右測定結果を前提とした被告の主張は失当である。

2  次に、原告が昭和四九年五月一一日以降病院に入院して治療をしていたこと、大阪労働基準局長が昭和四九年一〇月八日付で、原告が旧じん肺法上の第一型のじん肺に罹病し、管理区分四に該当する旨の決定をしたこと、以上の事実については当事者間に争いがなく、右事実に、成立に争いのない甲第二号証ないし第五号証、同第七号証ないし第九号証、同第一三号証ないし第一九号証、その方式内容その他弁論の全趣旨により成立の認め得る甲第一号証、証人佐野辰雄の証言により成立の認め得る甲第一〇号証、肺の雛形であることについて争いのない検甲第四号証の一ないし六、原告本人のレントゲン写真であることについて争いのない検甲第五号証の一ないし四、証人白川勝、同松浦良知、同佐野辰雄の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、次の如き事実が認められる。すなわち、

(一)  原告は、昭和四一年六月被告に雇われて以来、前記1に認定の如き被告の作業現場で働いていたところ、昭和四九年三月頃から咳、痰が出るようになり、さらに同年五月になつてからは血痰が出るようになつたばかりでなく、身体にだるささえ覚え、咳も止まらなかつたので、同月四日、尼崎の県立病院でエツクス線(レントゲン)写真を撮つたところ、直ちに入院するように勧められたので、同年五月一一日から堺市内の市立堺病院に入院し、じん肺性肺結核の診断を受けてその治療を受け、さらに昭和四九年八月一四日から同五二年八月三一日まで、大阪府貝塚市内の国立療養所貝塚千石荘に入院し、じん肺性肺結核としてその治療を受けたこと、

(二)  次に、いわゆるじん肺とは、「各種の粉じんの吸入によつて胸部X線に異常粒状影、線状影があらわれ、進行にともなつて肺機能低下をきたし、肺性心にまでいたり、剖検すると、粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫を認め、血管変更を伴う肺疾患」であり(甲第八号証の七七頁参照)、じん肺性肺結核は、じん肺に肺結核を併発したものであること、そして、ある患者が、じん肺に罹病しているか否かの診断は、当該患者の胸部エクス線(レントゲン)写真を撮つて、その写真に粒状影を認め得るか否かを確める外、患者の職歴も調査して、過去に粉じんを吸入したことがあるか否かを確かめる必要があること、

(三)  ところで、原告は、前記(一)に認定した通り、昭和四一年六月に被告に雇われて以来、前記堺病院に入院する直前の昭和四九年五月初め頃までの約八年近くの間に亘つて、被告の建造する新造船の機関室内等の作業現場で多量の酸化鉄粉じんを吸入したこと、

(四)  一方、前記堺病院で昭和四九年五月一五日に原告の胸部を撮影した検甲第五号証の一・二のエツクス線写真によれば、その右上肺の第一ないし第三肋間の全体に亘り、一・五ミリメートル以下の小粒状影が認められ、中下野にも一・五ミリメートル以下の小粒状影が認められるし、さらに左肺の第四肋間にも小粒状影が認められるところ、これらの小粒状影はいずれも粉じんによるじん肺影であること、なお、右エツクス線写真には、その左肺に直径約五・五センチメートルの空洞がある外、その他にも多くの結核影があること、また、同じく昭和四九年六月四日に原告の胸部を撮影した検甲第五号証の三、四のエツクス線写真にも、右検甲第五号証の一、二のエツクス線写真と同様の小粒状影が認められること、さらに、昭和五三年三月一三日に原告の胸部を撮影した検甲第五号証の五のエツクス線写真にも、右肺の第一ないし第六肋間に検甲第五号証の一・二よりも稍大きくなつた粒状影が認められること(なお、左肺は肋膜の肥厚影のため、粒状影が見えにくいこと)、したがつて、原告は、当時じん肺に罹病し、かつ、その合併症として肺結核を併発し、いわゆるじん肺性肺結核にかかつていたこと、

(五)  なお、前記堺病院の松浦医師も、原告が同病院に入院した後、昭和四九年五月一五日及び同年六月四日の二回に亘り、原告の胸部を撮影した前記検甲第五号証の一ないし四のエツクス線写真の肺部に粒状影を認め、また、原告の職歴等を調査した結果、原告がそれまでに粉じんを吸入していることがわかつたので、原告は、じん肺性肺結核に罹病しており、右じん肺は旧じん肺法上の第一型管理区分四(すなわち、活動性の結核が合併していること)に該当するものとの診断を下して、その旨記載した甲第七号証の意見書を作成し、その後大阪労働基準局長は、同年一〇月八日付で、原告につき、旧じん肺法上の第一型管理区分四分のじん肺性肺結核であるとの健康管理区分の決定をなしたこと

以上の如き事実が認められ、右認定に反する証人出嶋昭三、同原享の各証言はたやすく信用できない。

3  そうだとすると、原告は、約八年間に亘つて、被告の建造する新造船機関室内における補機台等の取付作業に従事してその間に多量の酸化鉄粉じんを吸入し続けた結果、じん肺性肺結核に罹病したものというべきである。

4  もつとも、証人横山邦彦の証言及び鑑定人横山邦彦の鑑定の結果によれば、原告の胸部エツクス線(レントゲン)写真には、じん肺と断定し得る粒状影は認められないとして、原告がじん肺に罹病したことを否定する趣旨の証言及び鑑定をしていることが認められる。しかしながら、(1) 、右証人横山邦彦の証言及び鑑定人横山邦彦の鑑定の結果によれば、右横山邦彦は、原告の胸部エツクス線(レントゲン)写真に「じん肺X線像に特有な粒状影の撒布は認められない」としているところ、一方右同人は、当初右じん肺X線像に特有な粒状影とは、一・五ミリメートル以上のものをいうと誤解していた疑のあること(但し、右証人は、その後この点の証言を訂正)が認められること(なお、じん肺と断定するための粒状影には一・五ミリメートル以下のものもあることは前掲甲第八号証、証人佐野辰雄の証言等によつて明らかである)、(2) 、一方、前掲甲第八号証、同第一五号証、証人松浦良知、同佐野辰雄の各証言によれば、エツクス線写真に現われた粒状影が一・五ミリメートル以下のものは、血管影を修飾して線状影のニユアンスが強くなるし、また、〇・五ミリメートル以下のもので、局所気腫が網状像を呈し粒状影の不明化をまねく傾向があること(甲第一五号証参照)、したがつて、右粒状影が一・五ミリメートル以下であつて、旧じん肺法に定める第一型のじん肺に相当するような小さい粒状影の場合には、その読影はかなり難かしく、専門家の間でも見解がわかれる場合があること、そのため現在では、レントゲン写真に現われたじん肺の粒状影を読影するための標準写真が発表され、市販されていることが認められること、(3) 、証人松浦良知、同佐野辰雄の各証言によれば、エツクス線(レントゲン)写真に現われた粒状影を正確に読影するためには、じん肺患者のエツクス線写真を多数読影して患者の治療に当ると共に、右エツクス線写真と患者の解剖所見を併せて研究する等、相当の経験と研究を重ねることが必要であること、そして、証人佐野辰雄は、レントゲン写真の読影について必要な相当の経験と研究を重ねた医師であることが認められるところ、右証人佐野辰雄が、本件第一九回口頭弁論期日において、検甲第五号証の一ないし五の原告の胸部レントゲン写真を見ながら、右レントゲン写真には、じん肺と断定し得る粒状影が認められる旨の証言を明確にしており、右証言の信用性は極めて高いものというべきである。しかして、以上の(1) ないし(3) の諸事実に、前掲甲第一号証、同第五号証、同第七号証、同第一〇号証、証人松浦良知、同佐野辰雄の各証言及び検甲第五号証の一ないし五等に照らして考えると、前記証人横山邦彦の証言及び鑑定人横山邦彦の鑑定の結果はたやすく信用できないのであつて、原告は、前述の通り、じん肺に罹病しているものと認めるのが相当である。

また、前掲甲第一三号証、成立に争いのない乙第一三号証、同第一五号証、証人原享の証言によれば、労働大臣は、原告のエツクス線写真(昭和五三年二月二七日撮影)にじん肺の所見は認められない旨の中央じん肺診査医の意見に基づき、昭和五三年一一月二七日付をもつて、これよりさきに大阪労働基準局長のなした原告に対するじん肺法の管理区分二とする旨の決定(甲第一三号証)を取消して、その管理区分を一とする旨の裁決をしたことが認められるが、右労働大臣の裁決があるからといつて、前述の如き事実関係の認められる本件においては、原告がじん肺性肺結核に罹病した旨の前記認定を覆すことはできないものというべく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三  そこで次に、原告のじん肺罹病に対する被告の責任について判断する。

前記二の1に認定したところから明らかな通り、原告が働いていた被告の建造する新造船の機関室内の作業現場は、多量の酸化鉄粉じんが発生し、原告ら従業員がじん肺に罹病する危険性の極めて大きいところであつたところ、前掲甲第八・九号証、同第一六ないし第一八号証、証人松浦良知、同佐野辰雄の各証言によれば、人が、じん肺に罹病すれば、肺胞が破壊されて肺機能が低下し、ひいては心臓が慢性的に負担を受けて心不全を惹起する一方、合併症として、極めて肺結核を併発しやすく、その他、慢性の気管支炎、場合によつては肺癌も発生することのあることが認められる。

したがつて、被告は、使用者として、被告の建造する新造船の機関室内の作業現場における粉じんの吸引、排出、新鮮な空気による換気等適当な措置を講じ、又、右機関室で作業に従事する原告ら従業員に使用させるための呼吸用保護具を備えるとともに、右呼吸用保護具の着用を周知徹底させるなどの安全教育を施すなどして、原告ら従業員がじん肺に罹病しないようにすべき労働契約上の安全配慮義務があつたものというべきである。

ところで、被告が右安全配慮義務を尽したことを窺わせる証人出嶋昭三、同原享の各証言はたやすく信用できず、他に被告が右安全配慮義務を尽したことを認め得る的確な証拠はない。却つて、前記二の1に認定した事実に、証人白川勝の証言、原告本人尋問の結果によると、(1) 、原告が前記の如く入院した昭和四九年五月頃までは、原告ら従業員の作業現場である被告の建造する新造船の機関室内の換気は、機械力による強制換気の装置によるものではなく、右機関室の前の隔壁に設けられた通路と排気を兼ねた工事穴等のみに頼つていたから、右機関室内の換気は極めて不十分であり、作業開始後一時間も経つた頃には、多量の酸化鉄粉じんを含有する空気が機関室内に充満していたこと、(2) 、さらに、被告は、原告ら製缶工の着用する防じんマスクを充分に備え付けていなかつたうえ、原告ら従業員に対し、防じんマスクを着用して作業するよう指導教育したことはなく、その点の安全教育をしなかつたので、原告ら従業員は、防じんマスクを着用せずに作業に従事してきたこと(もつとも、被告は、原告がじん肺に罹病後、機関室内に強制換気装置を設け、定期的に粉じん測定を実施するとともに、従業員に対して防じんマスクの着用を義務づけるようになつた)以上の如き事実が認められる。してみれば、被告は、原告に対し、前記労働契約上の安全配慮義務を怠つたものというべきである。

よつて、原告は、被告の前記安全配慮義務を尽さなかつた債務不履行により、じん肺及びこれと併発した肺結核(じん肺性肺結核)に罹病したものというべきであるから、被告は、原告に対し、民法四一五条により、原告の被つた後記損害を賠償すべき義務があるというべきである。

四  損害<省略>

五  結論<省略>

(裁判官 後藤勇 野田武明 三浦潤)

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